てくてく神楽坂
江戸時代後期の宝暦13年(1763)、使っている宝ほう暦りゃく暦れきに日蝕が無く、不備がわかり、そこで幕府は…
相馬屋。大きなぬいぐるみがいっぱい。店主は11代目の長妻直哉氏です。 手漉き和紙の創業は万治2年(1659)…
牛込区史編纂会編の「牛込町誌 第1巻(神楽町及若宮町之部)」(牛込区史編纂会、大正10年)では…… 貸 席 …
神楽坂6丁目に「ヤマニバー」があるとわかったのは、「西村和夫の神楽坂」の「神楽坂界隈」連載13号でした。20…
小料理の赤瓢箪は神楽坂仲通りにありました。 昭和2年6月、「大東京繁昌記」(東京日日新聞社)のうち、加能作…
牛肉「いろは」は通寺町(現、神楽坂6丁目)にありました。 森銑三氏の「明治東京逸聞史1」(平凡社、昭和44年…
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で、ID 18226は令和6年(2024年)、飯田橋駅ホーム…
サトウハチローの「僕の東京地図」(春陽堂文庫出版、昭和15年。再版はネット武蔵野、平成17年)の「追悼の牛込…
創業者は名古屋出身の高須宇平氏で、19世紀末ごろ牛鍋屋として開業。その後、洋食屋とフルーツの店に変わりました…
これは『大東京繁昌記 山手篇』の「早稲田神楽坂」(昭和2年)Part 2です。東京日日新聞(「毎日新聞」の前…
川かわ合い玉ぎょく堂どうは明治〜昭和の日本画の大家で、東京美術学校教授でもありました。明治6年(1873)1…
神楽坂通りを飯田橋方面から上り、本多横丁に行く北西の角に「五十番」が見えていました。創業は昭和32年(195…
これは『大東京繁昌記 山手篇』の「早稲田神楽坂」(昭和2年)です。東京日日新聞(「毎日新聞」の前身)に『大東…
『牛込華街読本』(昭和12年)の最初の半分は芸者の心構えを、後半には歴史が書いてあります。この「袋町の桜」も…
鳥羽正雄等編『日本城郭全集』(人物往来社、昭和42年)を読み、新宿区郷土研究会「牛込氏と牛込城」(昭和62年…
入いり江え相政すけまさ氏は東大卒で、官僚、歌人、随筆家。学習院大教授をへて、昭和9年宮内省侍従になり、侍従長…
一瀬幸三氏は新宿区の郷土研究家として力を発揮していたのですが、では、その前の仕事は何をしていたのでしょうか?…
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」と田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂(藁店わらだ…
平成17年(2005)、雑誌「かぐらむら」の「今月の特集 昔あったお店をたどって…記憶の中の神楽坂」では………
昭和5年(1930)、大おお宅や壮一そういち氏が書いた『モダン層とモダン相』(大鳳閣書房)の1章「神楽坂通り…
大胡から牛込に転居 大胡から牛込に改姓 寛政重修諸家譜、牛込氏系図、江戸名所図会(牛込の城址) 重行 勝行(重…
向かって左側の日本出版クラブ会館と右側の日本出版会館は牛込城があったとされる光照寺の正面に並んで建っていまし…
一平荘の創業は昭和初期、一説では昭和4年。廃業は第二次世界大戦で廃墟になってから。『ここは牛込、神楽坂』第1…
サトウハチロー著『僕の東京地図』(春陽堂文庫、昭和11年)の一節です。サトウハチローが小説家の宇野浩二氏を崇…
春しゅん月げつはそば屋さんでした。明治より古くから営業し、終戦後も、しばらくは営業して、たとえば、昭和27年…
最初は明治20年5月に牛込勧工場で開店。大正2年(1913)1月には映画館「文明館」になり、昭和5年に「神楽…
新宿区袋町3丁目に寄席や映画館になった建物がありました。江戸時代に義太夫が唄う「牛込藁店亭」から寄席色物席の…
藤沢浅あさ二じ郎ろうは慶応2年4月25日(1866年6月8日)京都府に出生。雑誌「活眼」や「東雲しののめ新聞…
1 地蔵坂の地理 令和4年(2022)5月2日、東京新聞の「<のぼりくだりの街>地蔵坂(新宿区)タヌキがどろ…
新宿区袋町3に寄席や映画館になった建物がありました。江戸時代に義太夫が唄う「牛込藁店亭」から寄席色物席の「わ…
藁店は「わらだな」といい、私は固有名詞として使っていますが、本来は、一般名詞の「藁を売る店」のこと。 明治…
1 歴史 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第1集(2007年)「肴町よもやま話①」では「…
芳賀善次郎氏の『新宿の散歩道』(三交社、1972年)「牛込地域 48.芸術座発祥の清風亭跡」では…… 芸術座…
令和1(2019)年度に、「筑土八幡町」から「神楽坂上」を通り「牛込北町」までの「大久保通り」について、路幅…
舟橋聖一氏の『わが女人抄』(朝日新聞社、昭和40年)の一節『水谷八重子』です。 水谷八重子のことは四十年昔…
泉麻あさ人と氏の「東京ディープな宿」(中央公論新社、2003年)です。 氏は、慶応義塾大学商学部卒業。197…
石田衣良いら氏が平成21年(2009)に書いた本『チッチと子』です。主人公は作家で、神楽坂のマンションに住ん…
神楽坂2丁目の建物で、地元地権者と東京理科大学の共同再開発事業で、築年は平成23年(2011)、地下1階・地…
田口屋生花店です。この小栗横丁で2つに分けていた花屋です。 ひとつは2丁目1番地で、もうひとつは1丁目11…
東京商工会議所の「東京市内商店街ニ関スル調査」(昭和11年)に載った昭和10年12月19日の写真です。「須田…
神楽坂の「清風亭」という場所があります。何をおこなっていたのでしょう。 インターネットの「西村和夫の神楽坂…
川鉄は肴町(現、神楽坂)27番地にありました。以前は万世庵というソバ屋でした。 『ここは牛込、神楽坂』第10…
神楽坂のしんぱち食堂は鰻重と焼干魚定食など、現在の越後屋壱之助も焼干魚定食と刺身など。この2店、運営元が同じ…
かわいいペコちゃん でもペコちゃん焼は… 地下鉄の出入り口の先には「不二家」のフランチャイズ店があります。昔…
靴のオザキヤについて、ただただもう大量な靴があります。 創業は明治33年(1900)。親子四代120年。現…
「神楽坂上」に向かって左側の「丸岡陶苑」は和陶器を売る店です。創業は明治24年(1891)頃。 牛込倶楽部の…
軽子坂は明治20年の地図でも出ています。では最初は標柱を見てみましょう。 標柱では…… 軽かる子こ坂ざか …
朝日旅の事典「東京(山の手・副都心)」(朝日新聞社、1987年)の服部銈二郎氏の「坂のある東京絵図」です。問…