新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」と田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂(藁店)を坂下から坂上の光照寺まで歩いてみます。
坂下は主に「神楽坂5丁目」、坂上は「袋町」です。江戸時代で最も人気の高かった芸能文化には義太夫や寄席があり、明治終わりの3年間は「東京俳優学校」、大正5年以降には映画館「牛込館」もありました。しかし第2次世界戦争で灰燼になりました。
1 昭和28年の藁店(ID 7899)
昭和28年(1953)、新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で場所は地蔵坂 (藁店)です。

街灯は脇道の藁店には全くなく、日が沈むと家の灯りが頼り。舗装はかなり荒れていて、建物や塀が道にはみ出しているようにも見えます。手前には下水(側溝)があるようですが、坂の部分は不明。写真の女性や子供は薄着で、軒にはお祭りの飾りが出ているので、おそらく秋。
右手の最初は「富永 写真館」、続いてサンシェードがついた「配給所」(のちの八百 美喜)、ベニアで囲んだ家(のちのチャーリーブラウン)が見え、これ以上の数軒は見えず、最後に民家が見えます。電柱1本に縞模様と看板があり、その看板は「割烹 山ぐち」と読めます。地図では坂の突き当たりを曲がった右側にあります。
左側には理容室のサインポールも見られ、地図で「床ヤ モリワキ」(森脇)と書いてあります。森脇の後面は小林石工店(現在のWARADANA神楽坂)、前面の1階建てが「倉庫」(のちの安達ビル)で、さらに前の建物は「西沢菓子S」(のちの鮒忠から駐車場、現在の1階は「かぐら邸」)でしょう。
同年のID 5189(下図)では、すぐ近くの神楽坂通りに街灯が整備されています。

ここで地図3枚を見てみます。大正元年の「地籍台帳・地籍地図」と昭和時代の都市製図社『火災保険特殊地図』 昭和12年と昭和27年です。



ちなみに「床ヤ」は明治39年の「風俗画報」でも理髪師として見られます。ただし、理髪師は現在とは別の人で、現在の森脇氏ではありません。

2 昭和41年(ID 7804-7806とID 14104)
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7804-7806とID 14104も地蔵坂(藁店)を撮ったものです。時期は「昭和41年頃か?」と書かれています。ここで、坂を上る方向を基準にして左右を決めることにします。




西側の電柱はすべてコンクリート製で細い柱上変圧器がありますが、東側には木製のものもありました。車道は滑り止めのOリングを使い、下水は道路の側溝を流れています。
これは昭和41年(1966年)でしょうか? まず住宅地図が正しいとして考えます。
「旅館 竹兆」は住宅地図の昭和47年(1972年)にはなく、昭和48年(1973年)では出てきます。
昭和39年までには「松竹荘」は一軒だけですが、昭和40年から47年までは「田中医院」と一緒に出てきて、昭和48年には再び1軒だけの「松竹荘」として登場しますが、「歯科 佐々木」と一緒に出るのは全くありません。
「あかつき」は昭和49年に始めて出てきて、田口重久氏の写真でも昭和49年に出てきます。


住宅地図が正確と仮定すると、本当に昭和49年でしょうか。
そこで、まだ出ていない建物も考えます。地蔵坂と神楽坂通りを結ぶ場所にある武田芳進堂(現・八潮第二ビル)と中河電気(現・八潮ビル)です。武田芳進堂は昭和46年9月に、中河電気は昭和43年9月に大きな5階建てのビルが完成しています。見えるはずですが、ありません。ビルは完成するのに1年ぐらいかかるので、昭和42年以前にこの写真4枚が撮られたものです。つまり、この写真4枚が正しい場合、昭和42年から早く、たとえば昭和41年に、撮った方が正しいのです。
住宅地図についてはこの調査と比べて印刷はただただ遅すぎたようです。
| 地蔵坂(昭和41年頃) 坂下から坂上を見上げる 正面突き当たりに相馬屋文具店 |
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3 昭和49年(田口重久氏)
田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日の写真を上げます。坂の左側は主に神楽坂5丁目、右側は袋町です。下水は道路の側溝を使って流れ、歩道はなく、対面通行の車道には滑り止めの〇リングを使用。電柱には柱上変圧器があり、街灯は恐らく水銀灯。
なお、藁店の坂下から坂上に上がる方向で左右を分けています。




| 地蔵坂(昭和49年) | |
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4 昭和54年(ID 79–82)
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 79、80、81、82は、昭和54年(1979年)、地蔵坂(藁店)を撮ったものです。左側は主に神楽坂5丁目、右側は袋町が主で、車道は対面通行。右側は駐車場に使っていて、歩道は左側だけでしょう。




ID 79とID 80の資料名は「住宅」と「坂道」だけです。しかし、ここは地蔵坂(藁店)を上がった場所なのです。歩道はここも左側だけです。ID 80の地面でOリングはよく見えます。
トーンカーブ(画像の明るさ、コントラスト、色合いをグラフの曲線を使って画像の補正機能)を使うと、塀がはっきり見えるようになります。こうやって浮かび上がった塀(板3枚とコンクリートが見えます)はID 79の塀とそっくりです。

| 地蔵坂(昭和54年) | |
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5 昭和59年(田口重久氏)
昭和59年(1984年)10月6日の写真3枚です。昭和49年と比べて歩道と車道を区別する白い実線(普通路側帯)が道の両側にはっきりできています。



今度は田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂です。
ちょうど5と6の間にあった標柱は「この坂の上に、光照寺があり、そこに地蔵菩薩がある。それにちなんで、そう呼ばれている。また。別名藁店坂ともいう。このあたりに藁を売る店があった」
電信柱には「皮膚科 神楽(坂)5丁(目)」。張り紙は「幼◯…/◯…/集めています/お電話下さい/電話…」
これは昭和59年に撮影したものですが、昭和49年(1974年)12月21日に撮影したほぼ同じ画角の4枚目と比較します。
まず中央にある「竹兆」の電柱看板は、昭和49年はなく、また坂下には3階建ての建物から「八百美喜3」の看板が出ていますが、昭和49年は2階建てでした。
「八百美喜」の手前の白いビル4は、昭和49年は平屋でした。
その手前の庭木は昭和49年より大きくなっています。「割烹 佳7」の屋根にくっついているのは「太陽熱温水器」でしょうか。
白いビルの前に立つ電柱の街灯は同じ水銀灯のようです。この電柱の広告は「理髪モリワキ」で、昭和49年にも同じ場所に広告があります。昭和49年は斜め線らしき縁取り以外は判読できませんが、昭和49年と比べると同じ広告でしょう。
左側の家は6です。
なお、芳進堂は昭和59年(1984)飯田橋ラムラ2階にもあって、しばらく2店は同じように営業していましたが、神楽坂の方は退店して、代わりに婦人服店「イッサ(ISSA)」が入ってきました。
6 平成8年(ID 7900)
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」は、平成8年(1996)2月10日のID 7900です。電柱の途中から出る街灯は普通の蛍光灯です。電柱の上には柱上変圧器があり、電柱看板も見えます。
縁石はなく、白い塗料で歩道と車道を区別し、また道路の両側に1列のコンクリートをつくり、雨水桝からの下水を流します。車道は平坦で、凹凸はありません。人は誰もいませんが、土曜日だからかもしれません。

| 地蔵坂(平成8年) | |
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8 平成25年
平成25年は西暦2013年です。坂下から坂上を見上げます。


最初は「武田ビル」です。この時、ビル1階は本屋の武田芳進堂かレディースセレクトショップIssaなのか、わかりません。2000年の住宅地図では確実に芳進堂で、2008年の「神楽坂通り商店会」のマップでは確実にIssaでした。
次の2番目は平成10年(1998)に神楽坂5丁目32に開店した「酒肴 神楽坂もん」で、この店長のお父さんが神楽坂2丁目のペコちゃんの店主です。以前は「あかつき」でした。

3番目の栗原ビルは八百屋「丸喜屋」が出てきます。いつも野菜や果物でいっぱいになった店舗でした。なお、神楽坂6丁目にも同じチェーン店「丸喜屋」があり、こちらは今も元気です。


4番目の杵屋ビルは昭和52年(1977)1月に竣工したイタリア料理店のAlberiniがあります。イタリア語「アルベリーニ」の意味は「小さな木立ち」です。平成24年(2012)8月に開店したil mare(イルマーレ)の内装を引き継ぎ、平成25年(2013)6月に開店。その歴史を見てみると、チャーリーブラウン(スナック・バー)が1980年頃に開店し、退店は平成19年(2007)。平成20年(2008)頃、味彩(和食・小料理)が開店し、平成24年に退店し、現在のAlberiniになりました。

5番目の鈴木ビルのマンション1階は、昭和53年(1978)開店した鳥竹の魚河岸料理・鳥料理。しかし、平成29年(2017)4月に退店。代わって平成30年(2018)頃に小料理店「ひろか 二葉」が開店。

奥には「インタレスト」(平成24年(2012)頃に開店。令和6年(2024)6月、実店舗は退店)や「temame」(てまめ。平成22年(2010)6月、開店。平成30年(2018)3月、退店)などがありました。

昭和61年に開店したリバティハウスの「ブティック・ケイズ」は婦人服の店兼白髪ファッション。へー、NHKの「ためしてガッテン」にも出ていたんだ。平成12年の「着やせ術」についてでています。
このブティック・ケイズが入るリバティハウスと、フランス料理のカーヴ・ド・コンマが入る隣の神楽坂センタービルは昔は単一の建物でした。


神楽坂センタービルは平成22年に開店したヘアーの専門店「ログサロン」。昔は都館支店と呼び、明治、大正、昭和初期の下宿で、たくさんの名前だけは聞いたことがある文士達が住んでいました。

では、神楽坂5丁目の左側は? 最初は「鮒忠神楽坂店」で、次の「上海ピーマン」より前に御菓子司「五十鈴」の工場に行く小道があります。

昭和55年(1980)8月の竣工「安達ビル」は昭和53年(1978)開業の「上海ピーマン」と平成23年(2011)開業の焼き鳥など「炭火焼 神蔵」。

昭和15年頃に開店した散髪屋「ヘアーサロンモリワキ」とフグなどの日本料理店「真名井」。2つの店舗が昭和62年(1987)4月に竣工の「森脇ハイツ」をつくっています。

石鐵ビルの前身は小林石工店。ここは安政時代から開店していましたが、退店し、平成30年(2018)、石鐵ビルに変わりました。


坂本歯科も今も続き、「ギャルリー煌」はギャラリーブティックでしたが、退店に。代わって平成25年(2013)9月1日、彫刻家具「良工房神楽坂店」が開店します。

標柱もたたっています。

地蔵坂(じぞうざか)
この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。そこにちなんで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。
さらに坂上の左側に店舗があり、煎餅屋「神楽坂地蔵屋」です。初出店は平成22年(2010)8月です。ここから数軒歩くと光照寺です。

9 令和元年
2019年です。その前に、角のレディースセレクトショップIssaは退店し、代わって平成30年(2018)9月に革小物店「神楽坂ウォレテリア山藤」が入ってきました。

2番目の「もん」から、平成27年(2015)7月開店の「和カフェ かぐらちゃか」に代わり、その半年後の平成28年(2016年)4月、これを発展して「かぐらちゃか餃子庵」を開店、しかし3ヶ月弱でこれも退店。平成29年(2017年)6月から令和2年(2020)4月まで「串カツ田中 神楽坂店」に変わりました。

栗原ビルは「肉寿司」に。

ハンドメイド作品のギャラリーショップ「temame」(てまめ)は平成30年(2018)3月1日に退店。令和3年5月「ブティック・ケイズ」も退店。
神楽坂センタービルは、平成23年(2011)12月、ワインショップ「アロムヴェール神楽坂店」を開店、続いて、平成24年(2012)4月にワインバー「アロム」を併設。「アロム」はさらに改造し、レストラン「カーヴ・ド・コンマ」(Cave de comma コンマのワイン蔵)として平成24年(2012)11月に開店。しかし、平成30年(2018)2月に「カーヴ・ド・コンマ」が退店。ワインショップ「アロムヴェール神楽坂店」自体も令和7年(2025)5月末に退店し、オンラインショップへ移行。
神楽坂5丁目の左側の懐石料理店「真名井」も平成26年(2014)12月に退店。代わって平成28年(2016)2月に焼き鳥店「神楽坂 鳥伸」は小栗通りからここに移転拡大。

坂本歯科は昭和39年(1964)4月、木造2階建ての家でしたが、平成4年(1992)3月「坂本DCビル」(地上5階)に建て替えています。

10 令和8年


Oリングはもうどこにもありません。坂上にわずかにあったものですが、全くありません。
最初は「鮒忠神楽坂店」で、昭和32年(1957)に開店し、令和2年(2020)7月30日に退店し、一時、駐車場に代わり、令和5年(2023)9月に商業ビル「ディア・ライフ(Dear Life)神楽坂ビルディング」(地上6階・地下1階)が建ち、1階は「かぐら邸」(おでん・居酒屋)、地下1階は「神楽坂 濱千」(高級うなぎ料理店)など。

「串カツ田中」は令和2年(2020年)9月に退店し、代わって令和3年11月24日、食品添加物・化学調味料を使わない手作りの「べジタブルベース(Vegetable base TOKYO)」に。
「神楽坂肉寿司」は令和5年(2023年)12月に退店し、令和6年(2024)2月に韓国料理店「山本牛蔵」は開業。

洋服・革靴のセレクトショップ「インタレスト」は令和6年6月に退店したまま。
神楽坂センタービルは令和7年(2025)11月6日に出店の「茶龍 SALONG」(正面、中国料理)、令和7年9月14日に出店の「Georgian Bistro and Wine Bar Ajika」(別館1階、ジョージア料理)や、平成24年(2012)4月に出店の「坂の花」(地下1階、海鮮和食)など。



「良工房神楽坂店」は令和3年10月に退店し、令和4年(2022)1月に三味線や琴の販売・修理等の「SEION(清音)神楽坂」に。2階は「坂本歯科クリニック」。

坂上の右側に2つ店舗があります。1つは懐石料理「まる富」で、初出店は令和4年(2022)4月です。入居したビル「クレール神楽坂14」は令和3年(2021)10月に新築した建物なので、これが最初のテナントです。

また隣の奥にひっそり隠れている「Donish Coffee Company 神楽坂コーヒースタンド」の初出店は令和5年(2023)10月です。一代昔の店舗は「WHY NOT SPECIALTY COFFEE &」(ワイノット スペシャリティ コーヒーアンド)で、初出店は平成30年(2018)6月、退店は令和5年(2023)3月末でした。なお、入居した複合施設「FARO神楽坂」は平成30年(2018)1月に新築した建物なので、「ワイノット」は最初のテナントです。
また、店主の神藤翔太を藤神、つまりDoshinにかえ、そのアナグラムがDonishです。ペルシャ語の言葉دانش(知識・学問、dānish)と一致、でも、たまたまあっただけですと店員。


さらに上に1軒を行くとイタリア料理のNODO(ノード)です。平成30年(2018)にできました。

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