綿谷雪氏の「考証江戸八百八町」(秋田書店、1971)の「大田南畝の生家」です。
少し脱線だが、ついでに書いておく。大田南畝(蜀山人)の一番はじめの住居だった家は藁店といわれているけれど、それは近くの俗称を用いていったので、じつは藁店の路地奥の御徒組屋敷の内(下図は■)であった。この組屋敷は数多い小屋敷ばかりで、中に二条の路地があって三ブロックに分かれ、北から数えて北御徒町・中御徒町・南御徒町といっていたのを、明治後は北町・中町・南町とあらためた。
南畝は仲御徒町の大田正智の長男として、その家に生まれ、長じてその小屋敷に “息偃館” と名づけた。たしかに息をやすめる程度のあばらやで、主人の無精が目に見えるような夏草の茂るにまかせた小庭、木末から柱へわたした長い縄に長男定吉のオムツを掛けつらねて、
「坊や、シッコは大丈夫かい」
と声かけて引き寄せる妻の手を払いのける幼児は、もう裾を洪水にぬらしていたなどと、小官吏の生活の思いやられる情景は、彼の『四方のあか』に収められた「車どめ」「なつくさ」等の小文によく写されている。
組屋敷のこととて切図に大田の名は出ていないが、家の東側と南側に道があることが「隣家におくれることば」の一文中に見えるから、仲御徒町北側の東角のとっつきの家であったと見てよろしい。今の中町37・38番地である。なお尾崎紅葉が藁店で住んでいた家は、もと蜀山人の住んだ場所だということだが、果して正しいか、どうか。

藁店 「藁店(わらだな)は1軒それとも10軒」を参照
御徒組 おかちぐみ。江戸時代に将軍や大名の行列の先導や警護にあたった下級武士の集団
大縄地 おおなわち。与力や同心などの拝領地。敷地内の細かい区分ではなく一括して一区画の屋敷を与え、大縄は同役仲間で分けること。その屋敷地を大縄地と呼ぶ。今の公務員団地。
組屋敷 くみやしき。江戸時代に足軽や与力、同心などの組に与えられていた屋敷や屋敷地
息偃 そくえん。横になって休む。休息する。「偃」は「憩う。息う。やすむ」の意味
四方のあか 「四方のあか」とは「東西南北の銘酒、滝水」。近世の最初の滑稽な文章です。天明7年(1787)刊か?
車どめ 「四方のあか」の「車どめ」の一節です。
ほこらひ ほこら(祠)は土地の神をまつる殿舎。祠碑(しひ、ほこらひ)は神を祀る祠(ほこら)に立てられた石碑
あなあさまし なんとまあ、驚きあきれることだ。
しとゞ びっしょり濡れた
しめし 腰から下に巻く布。おしめ。
なつくさ 「四方のあか」の「なつくさ」の一節です。
とどむ おさえて行かせないようにする。
おと 年少の者。おとうとか、いもうと。
うう 理解や承諾・納得などの意。うん。
あこ わが子。自分の子。
ひきよする 引き寄せようとすると
かけいでん 駆けて外に出ようと
もらし 尿や液体などを漏れるようにする。こぼす。
ふせご 伏せ籠。香炉や火鉢などの上に逆さに伏せておく籠。上に衣服を掛けて暖めたり、香をたきしめたりする
うちきする うちきる。打ち着る。身にまとう。着る。かぶる
隣家におくれることば これも「四方のあか」の一節です。
馬の屁をかぐ においはヒトのオナラのにおいに似ているが、それほど臭くはない。中国語の「拍馬屁」は「おべっかを言う、お世辞を言う、ごまをする」
くらやみからひく 「くらやみ」はまったく光がなく、暗い。「暗がりから牛を引き出す」だと暗い所に黒い牛がいると何が何やらはっきりしないところから「物の区別がつかない」
牛ごみ 牛の胃からのごみ。ここでは「牛込」の意味でしょう。
ちまた 道の分かれる所。分かれ道。
一もと ひともと。木や草などの一本
柳 柳ではなく、柳草でしょう。柳草とは植物「柳蘭」か「伊吹虎尾」か「鰻掴」か「沼虎尾」の異名。
彭沢 ほうたく。中国最大の淡水湖。「彭」は「つづみを鳴らす音」から「盛んな、数が多い」。「宝鐸草」は美しい花をつける植物。
五もと 木や草などの5本
いとよりかくる…… 古今和歌集の「青柳の 糸よりかくる 春しもぞ 乱れて花の ほころびにける」(春になり青々と垂れている柳 その柳の長い枝は風になびいて糸をよりあわせて布を織っているようである そんな春であるが 桜の花は乱れて 布の糸がほどけるように咲いている)
ほころび ほころびること。縫い目などがほどける。
いはんかたなし いわんかたなし。「言はん方無し」。何とも言いようがない。たとえようもない。
とっつき いくつかあるうちのいちばん手前。
尾崎紅葉が藁店 尾崎紅葉氏の住所は「東京牛込区北町41番」でした。
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