新宿区史 昭和30年

 新宿区史という名前の本があります。この区史、最も古くは昭和30年に編纂され、以降、40周年、50周年、新宿時物語(60周年)、新宿彩物語(70周年)と並んでいます。

 戦後に初めて世に出た「新宿区史」(昭和30年)は新宿区の地理、歴史、現勢を3章でまとめ、特に歴史は詳細です。そのうち「市街の概観」を見ると、「神楽坂」として写真4枚が出ています(下図)。では、この4枚を撮った場所はわかりますか? 正解を書いてしまいますが、1枚目では牛込橋近くに立って、神楽坂下交差点を見下ろし、坂上を撮った写真。2枚目は神楽坂上から坂下に下る写真、3枚目は巨大料亭の松ヶ枝の通用門。4枚目は小栗横丁の中央部です。


写真4枚 昭和30年

 では、1枚目から見ていきます。

① 木製の電柱
伊藤菓子店 昭和27年「火災保険特殊地図」(都市整図社)から
③ 神楽坂 両面「神楽坂」のビルボード広告。
④ 鈴蘭灯
交通信号機
⑥ 不明の看板 植木洋服店と関係?
清(水衣)装店
交通信号機。信号灯背面板は縞模様(ゼブラ板)
小栗横丁のためここだけが影がない
⑩ 三菱銀行

昭和27年「火災保険特殊地図
昭和35年 住宅地図

① 昭和27年の「火災保険特殊地図」によれば「東京円茶」、昭和35年から昭和42年までは「神楽堂パン」、同年「不二家」になりました。
② 昭和27年「火災保険特殊地図」では赤井菓子店
メトロ映画 背中が南に高いメトロ映画は昭和27年から昭和42年まで存在。メトロはメトロポリスの略で、首都や大都市のこと。その後、数店に変わり、平成28年(2016年)以降はドラッグストア「マツモトキヨシ」です。なお、写真の撮影日に上映中だったのは「燃える上海」と「謎の黄金島」(ともに公開日は1954年)。また枠が斑ら色の掲示板があり、さらにその前に鈴蘭灯らしきものも見えます。
産婦人科 加藤医院 袋町7。旧出版クラブ隣の西側。以前は診察していましたが、現在はなにも出ていません。

水野◯科 水野外科だとすると岩戸町2

さくらや靴 昭和27年は焼け野原。さくらや靴店は昭和37年から少なくとも昭和59年まではあり、平成2年までに東京トラベルセンタ-に。
神楽坂警察 明治26年、ここ神楽河岸に移転。昭和35年(1960年)、牛込早稲田警察署と合併し、牛込警察署に改称し、南山伏町に新築移転
桜の木 悪いことも起こしました。

 「悪いこと」とは地元の人の話で……

 ほかに西口の旧駅舎で、思い出話がふたつあります。ひとつは、いまラムラに入るみやこ橋のところにあった古い神楽坂警察署の木造の建物。1970年頃、もう警察は移転していたんですが、剣道場が残っていて人が出入りしていました。機動隊も一緒に使っていたんじゃないかな。
 もうひとつは桜の木です。駅から牛込見附の交差点まで下りる坂に大きな桜が2本ありました。花の季節は綺麗なんですが、桜って毛虫がつくんですよ。初夏になると頭の上からポロポロ落ちてきて、そこを通勤通学の人が歩くものだから、もうグチャグチャで大変。苦情が出たんでしょうね、いつの間にか伐採されました。

 お堀の脇の土手公園も、昔はもっと桜が生えていたと思います。けど同じ苦情で、通路の部分の木を減らしたようです。今も桜の名所ですが、毛虫が話題にならないのはなぜなんでしょうね。

 2枚目の写真です。

 

 向って左側にのぼり旗「シ◯」(菱屋。裏の半分だけで「毛糸」 ) と「7」(マーサ美容室。正しくは「パーマネント」の「ネント」が斜めになったもの)が見えます(新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4793)が、それ以上は不明です。 ID 4793 神楽坂通り マスダヤ前 昭和27年


 右側は……
① 富士見町教会 堀の向こうには富士見町教会。その手前は牛込門の石垣。
② 時計・大川。昭和27年の火災保険特殊地図でも時計屋。昭和12年は煙草店。昭和40年は大川時計。現在は大川ビル
③ 増田 増田屋肉店。昭和27年と昭和40年も精肉屋。昭和12年は不明。現在は「肉のますだや
④ せともの セト物 太陽堂。昭和27年と昭和40年でも陶器屋。昭和12年は小料理。現在も太陽堂
⑤ パンビタン 山本薬店。昭和27年と昭和40年でも同じ。昭和12年では丸山薬店。パンビタンはビタミンA、B1、B2、B6、B12、C、D、E、パントテン酸カルシウム、ニコチン酸アミド、葉酸の配合剤です。現在は「神楽坂山本ビル」
⑥ ヒデ美容室 ヒデ・パーマ。昭和27年と昭和40年でも同じ。昭和12年では日原屋果物店。現在は「神楽坂センタービル」
山車だしと太鼓 沢山の子供が太鼓が乗った山車を引いています。お祭りでしょう。
⑧猫診療所 電柱広告の一種。袋町20番地にあった「山本犬猫病院」。

3枚目です。

写真4枚 昭和30年
写真4枚 昭和30年

まつ かつて若宮町にあった大料亭。広さは「駐車場も含めて400坪」。「自民党が出来た場所」という。現在はマンションの「クレアシティ神楽坂若宮町」
通用門 通用門は正門から北西に6~7メートル離れてあった。御用聞きは通用門から入った。
壁を削る この角が狭くて車が曲がれない。壁を少し削りとって、へこませた。
寿司作 一番奥のチラリと人が見えているのが寿司作。
秋祭りの飾り 若宮八幡の秋祭りの飾りが2つ。季節は9月ごろ。この飾りは今も全く同じデザイン。
芸妓置屋 芸妓を抱えて、料亭・茶屋などへ芸妓の斡旋をする店。
駐車場 黒塗りの木戸から大きく開く構造になっていた。

 4枚目です。

 手前には「石焼」と書いた「業務用石焼き芋機」。他には何も手がかりがありませんが、西條医院は小栗横丁の西端にあって、写真では内科、小児科、不明な科、歯科の病院でした。現在は「西條歯科」。さらに、この右前端にもまだ道があるようで、T字路のように見えます。他にも「カーブが始まり、先の方の道が細くなるのは熱海湯のあたりから」、「看板は道の角に置くタイプなので、路地があるように思われる」と地元の人。つまり「お蔵坂」が始まるあたりではといいます。

昭和38年 地図 お蔵坂と西條医院

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