神楽坂 東京百之景内|M35-39

東京百之景内 牛込神楽坂 元来急坂だったものが明治10年代後半になだらかに改修され、以後賑わい始めたという。特に明治末から大正の神楽坂は、花街と毘沙門天の縁日で繁栄を謳歌した。にもかかわらず、当時の写真はほとんどない。これが牛込見附(現飯田橋駅西口付近)より写したもの。手前は外堀通り。明治35~39年頃。石黒敬章編・解説「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社、2001年

 写真は明治期の絵はがきで、赤い文字で「東京百之景内 牛込神楽坂 Ushigome of Kagurasaka Tokyo」とあります。これは神楽坂下交差点の坂下から坂上を見たものです。実際、神楽坂下交差点の明治大正・昭和初期の写真は確かに多くはなさそうです。

 明治38年5月12日に東京電気鉄道が「東竹町」(本郷竹町)から「神楽坂」(神楽坂下)まで開業。8月12日に四谷見附間まで延伸。後の東京市電の「外濠線」です。この写真は明治38年以降と考えられます。

 電信柱の腕木は10本もあり、貨物だけを運ぶ人力車も数台あります。

阪堺電車『明治時代の架線柱』 設置から100年以上、いまも路面電車を支えてます」にこれとそっくりな架線柱があります。

阪堺電車の「明治時代の架線柱」 設置から100年以上、いまも路面電車を支えてます

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