作家(た行)

高田早苗 たかた さなえ。明治・大正・昭和期の政治家、政治学者、教育家、文芸批評家。衆議院議員、貴族院議員、早稲田大学総長、文部大臣などを歴任。生年は安政7年3月14日(1860年4月4日)。没年は昭和13年(1938年)12月3日。79歳。
滝田樗陰 たきたちょいん。大正期の『中央公論』の編集者。東京大学在学中から『中央公論』を翻訳し、1904年10月、正式にその記者に。文芸欄を設けて拡充し、同誌を総合雑誌に発展し、夏目漱石,森鴎外,島崎藤村,志賀直哉,広津和郎,谷崎潤一郎などの話題作を掲載するなど小説の掲載に力を注いで業績を回復。生年は明治15年6月28日。没年は大正14年10月27日。44歳
武田勝彦 たけだかつひこ。英文学者。日本文学の評論家。上智大学を卒業し、早稲田大学政治経済学部教授。生年は1929年5月4日、没年は2016年11月25日。87歳。
竹田真砂子 たけだまさこ。小説家。神楽坂出身。時代小説を中心に活躍。作品は「十六夜に」「白春」「あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生」など。「鴨川をどり」など邦楽舞台作品の台本も多い。生年は昭和13年3月21日。
武田麟太郎 たけだりんたろう。小説家。1926年東京大学仏文科中退。新感覚派的手法による小説「暴力」でプロレタリア文学の作家として出発。転向後は井原西鶴に傾倒し、庶民の生活感情をえがく「日本三文オペラ」など「市井事もの」とよばれる風俗小説を発表。昭和11年『人民文庫』を創刊。生年は明治37年5月9日。没年は昭和21年3月31日。43歳
竹久夢二 たけひさ ゆめじ。日本画家・詩人。早稲田実業中退。藤島武二に私淑し、新聞・雑誌に挿絵を書き、叙情的ないわゆる夢二式美人画。明治末から大正初期にかけて一世を風靡しました。生年は明治17年9月16日。没年は昭和9年9月1日、51歳
立壁正子 たちかべまさこ。牛込区通寺町で生まれ、私立桜蔭学園中学、新宿高校を卒業。三菱造船、広告会社に勤め、退職後「ここは牛込、神楽坂」を発行。生年は昭和12年4月、没年は平成13年3月2日。63歳。
辰野隆 たつのゆたか。フランス文学者、随筆家。辰野金吾の長男。大正5年、東京大学仏文科卒業、大正10年、2年間フランス留学。帰国後日本人ではじめて日本人によるフランス文学講座を担当。1931~48年、東京大学教授。初めて本格的にフランス文学を日本に紹介。生年は明治21年3月1日、没年は昭和39年2月28日。75歳。
田中角栄 政治家。高等小学校卒業後上京、田中土建工業を設立。昭和22年、自由民主党から衆議院に当選。昭和47年、自民党総裁、首相に就任。日中国交を回復。生年は大正7年、没年は平成5年(1993)。75歳。
田辺茂一 たなべ もいち。昭和の書店主、随筆家。昭和2年、新宿に紀伊国屋書店をひらく。舟橋聖一らと「文芸都市」「行動」、尾崎士郎らと「文学者」を創刊し、資金をだして刊行をささえる。戦後は海外に支店をだすなど大型書店へと発展させ、小説や随筆、艶笑随筆などに才筆をふるう。生年は明治38年2月12日。没年は昭和56年12月11日。76歳。
谷崎精二 たにざき せいじ。作家、英文学者。谷崎潤一郎の弟。早大教授。広津和郎らと雑誌「奇蹟」を創刊。「離合」「地に頰つけて」「小説形態の研究」など。 昭和初年、創作を半ば断念する。生年は明治23(1890)年12月19日。没年は昭和46(1971)年12月14日。80歳。
谷崎潤一郎 たにざきじゅんいちろう。小説家。精二の兄。日本橋生れ。東京帝大国文中退。小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊。「刺青しせい」を執筆し、またスバルに「少年」「幇間」を発表して、耽美たんび派作家として有名に。千代子夫人と離婚し、友人佐藤春夫に譲る出来事も。震災後、関西に移住し、古典的な日本美に傾倒。「痴人の愛」「たで喰ふ虫」「春琴抄」、発禁となった「細雪ささめゆき」、現代語訳の「源氏物語」など。生年は明治19年7月24日。没年は昭和40年7月30日。79歳
田村泰次郎 たむら たいじろう。小説家。 1934年、早稲田大学仏文科卒業。『選手』 (1934) で文壇に登場。 1940年出征、中国を転戦、46年帰国。肉体の解放こそ人間の解放であると主張し、肉体文学の作家として1946年『肉体の悪魔』や1947年『肉体の門』を発表。生年は1911年11月30日。没年は1983年11月2日で、71歳
田村虎蔵 たむらとらぞう。東京音楽学校(現東京芸大)と東京高師で教え、言文一致唱歌を提唱し、「幼年唱歌」「尋常小学唱歌」などを編集。「うらしまたろう」「キンタロウ」「はなさかじじい」などを作曲。生年は明治6年5月24日、没年は昭和18年11月7日。71歳。
田山花袋 たやまかたい。小説家。生年は1872年1月22日(明治4年12月13日)。没年は1930年(昭和5年)5月13日。群馬県生まれ。自然主義を標榜、平面描写論を唱え自然主義文学の重鎮になりました。代表作は「蒲団」「生」「田舎教師」「時は過ぎ行く」「一兵卒の銃殺」「東京の三十年」など。

近松秋江 ちかまつしゅうこう。小説家、評論家。本名は徳田浩司。東京専門学校(現早稲田大学)英文科を卒業。1901年頃から「読売新聞」に文芸批評し「文壇無駄話」(1910)にまとめる。同年『早稲田文学』に「別れたる妻に送る手紙」を連載し、情話作家、遊蕩文学、破滅型私小説。大正末年に女児が生まれると作風がかわり、1924年「子の愛の為に」を発表、戦後は床屋政談に似た歴史小説や、叙情味豊かな随筆、紀行文。晩年は両目とも失明。生年は明治9(1876)年5月4日。没年は昭和19(1944)年4月23日。死亡は69歳。

都筑道夫 つづきみちお。推理作家。早川書房で「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長勤務を経て、昭和34年、作家生活にはいり、本格推理、ハードボイルド、ショート-ショートと幅ひろく活躍。生年は昭和4年7月6日、没年は平成15年11月27日。74歳。
綱島梁川 つなしまりょうせん。キリスト教思想家。坪内逍遙に師事。東京専門学校卒業後『早稲田文学』の編集。文学、美学の評論家として浪漫的、宗教的な美文を発表。肺結核の進行とともに正統信仰に対して懐疑的となり、晩年は神秘主義に。生年は明治6年5月27日、没年は明治40年9月14日。35歳。
角田竹冷 つのだちくれい。俳人。弁護士。15年立憲改進党の結成にくわわり、東京市会議員、衆議院議員。『読売新聞』『毎日新聞』の俳句選者。1895年(明治28)尾崎紅葉らと秋声会を結成、明治新俳句の領袖として活躍。著作は『聴雨窓俳話』(1912)など。生年は安政4年6月15日。没年は大正8年(1919)、64歳。
坪内逍遥 つぼうち しょうよう。小説家、評論家、翻訳家、劇作家。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』。シェイクスピア全集の翻訳。東京専門学校の講師をへて早稲田大学教授。1890年,文学科を設け,翌年「早稲田文学」を創刊し,後進の育成に努めた。生年は安政6年5月22日(1859年6月22日)。没年は昭和10年2月28日。77歳

東儀鉄笛 とうぎ てってき。明治・大正期の雅楽家・作曲家・俳優。また西洋音楽を学び、東京音楽学校(現・東京芸術大学)講師に。生年は明治2年6月16日(1869年7月24日)。大正14年(1925年)2月4日。
十返肇 とがえり はじめ。評論家、小説家。日本大学芸術科卒業。1956年、自伝小説『最初の季節』をはじめ小説も多いが、むしろ軽妙な筆による文芸社会評論で、現場主義的な批評だった。著書は1955年『現代文学白書』、1956年『筆一本』、1957年『文壇の崩壊』、1961年『十返肇の文壇白書』、1962年『けちん坊』『文壇放浪記』、1963年『実感的文学論』など。
徳川夢声 とくがわむせい。活動写真弁士。漫談家。無声映画時代には新宿武蔵野館の主任弁士(説明者) 、トーキー後は俳優・声優などに転じ、ラジオで吉川英治の「宮本武蔵」を朗読し、話芸の達人に。生年は明治27年4月13日、没年は昭和46年8月1日。77歳。
徳田秋声 とくだ しゅうせい。明治から昭和時代の小説家。尾崎紅葉の門で作家活動を開始。日露戦争後、『足跡』『黴』等の作品が注目を浴び、自然主義文学の代表作家に。『仮装人物』『縮図』は晩年の傑作。生年は1872年2月1日(明治4年12月23日)。没年は昭和18年11月18日。71歳。
徳富蘇峰 とくとみ そほう。評論家。熊本の生まれ。同志社中退後、自由民権運動に参加。「国民之友」「国民新聞」を発刊し、平民主義を主張。日清戦争後は政府と結び、国家主義の鼓吹者に。生年は文久3年1月25日。没年は昭和32年11月2日。94歳
徳永直 とくながすなお。小説家。小学校中退。印刷工員として1926年に起こった共同印刷争議の体験を『太陽のない街』として『戦旗』に連載。プロレタリア作家の地位を確立。戦後は新日本文学会の結成に参加。生年は明治32年1月20日、没年は昭和33年2月15日。59歳。
豊田正子 とよだまさこ。随筆家。生年は1922.11.13。没年は2010.12.9。小学生の頃、鈴木三重吉の綴方指導の影響を受けた担当教師の大木顕一郎の指導で書いた作文が『綴方教室』に収められて、15歳(1937年、昭和12年)には中央公論社から刊行。たちまちベストセラーに。