| 大久保彦左衛門 |
おおくぼひこざえもん。江戸時代初期の旗本。天正4 (1576) 年 16歳の初陣で軍功多く旗本になり、以来徳川家康に仕えた。大名になることを固辞し、その知略・奇行に関する多くの逸話があり、反骨と奇行で知られ、講談では「天下の御意見番」。生年は永禄31(1560)年。没年は寛永16(1639)年2月1日。80歳。 |
| 大杉栄 |
おおすぎさかえ。無政府主義の社会運動家、理論家。名古屋陸軍幼年学校時代上官に反抗して放校。東京外国語学校仏語科在学中、平民社に出入りし、幸徳秋水らの影響をうけ、社会運動に参加。大正12年9月16日、関東大震災後の混乱のなか憲兵大尉甘粕正彦らに殺害。生年は明治18年1月17日。没年は大正12年9月16日。39歳。 |
| 大田南畝 |
おおた なんぽ。天明期を代表する文人・狂歌師、御家人。蜀山人、四方赤良など、多くの号があり、狂歌のほかに狂詩、狂文、洒落本、黄表紙、咄本なども。軽快な諧謔が歓迎されて一躍文名をあげたという。生年は寛延2年3月3日(1749年4月19日)。没年は文政6年4月6日(1823年5月16日)。74歳。 |
| 大貫晶川 |
おおぬきしょうせん。明治大正時代の詩人、小説家。岡本かの子の兄。一高時代から同級の谷崎潤一郎と相互に影響。谷崎らと第2次「新思潮」を刊行。明治39年、新詩社にはいり、小説「お須磨」などを発表。生年は明治20年2月23日、没年は大正元年11月2日。26歳。 |
| 大野洒竹 |
おおのしゃちく。俳人。泌尿器科の医師。東大卒。明治27年(1894)佐々醒雪らと筑波会を発起。医業のかたわら句作、俳諧の研究、古俳書の収集に努力。蔵書は東大図書館に「洒竹文庫」として寄贈。生年は明治5年11月19日、没年は大正2年10月12日。42歳。 |
| 大橋乙羽 |
おおはしおとわ。小説家。出版人。明治22年、硯友社同人。27年、博文館館主大橋佐平の長女と結婚、博文館支配人として活躍。33年欧米を漫遊。翌年、腸チフスと筋膜炎で病死。小説「露小袖」「こぼれ松葉」、紀行文集「千山万水」など。生年は明治2年6月4日。没年は明治34年6月1日。33歳。 |
| 大町桂月 |
おおまちけいげつ。 詩人・評論家。「帝国文学」や「太陽」などを舞台に活躍。詞華集「花紅葉」、評論集「文学小観」、紀行文「奥羽一周記」など。生年は1869年3月6日(明治2年1月24日)。没年は1925年(大正14年)6月10日。56歳。 |
| 太田玉茗 |
おおたぎょくめい。初期の新体詩詩人。東京専門学校卒。僧職のかたわら叙情派詩を書いた。田山花袋の義兄。国木田独歩らと「抒情詩」を刊行。生年は明治4年5月6日。没年は昭和2年4月6日。57歳。 |
| 大宅壮一 |
おおや そういち。東大中退。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。中立で脱イデオロギーの立場から毒舌の社会評論家。生年は1900年(明治33年)9月13日。没年は1970年(昭和45年)11月22日。70歳。 |
| 岡田三郎 |
おかださぶろう。小説家。大正10年、フランスにわたり、帰国後日本に初めてコントを紹介。芸術派の立場で、モダンな短篇小説が得意。生年は明治23年2月4日、没年は昭和29年4月12日。64歳。 |
| 岡田嘉子 |
おかだ よしこ。女優。広島の生まれ。女子美術学校卒。新劇から映画界に入り、昭和13年(1938)演出家の杉本良吉とソ連に亡命。スパイ容疑で拘束されるが、のちソ連市民権を獲得。74年(昭和49)以降はソ連の「文化使節」として日本に長期滞在。生年は1902年4月21日。没年は1992年2月10日。89歳。 |
| 岡野栄 |
おかのさかえ。白馬会洋画研究所に学び黒田清輝に師事、つづいて東京美術学校洋画選科を卒業。明治41年2月女子学習院に奉職、教授に。この間、明治43年には光風会を創立、同人として作品を発表。大正14年には宮内省在外研究生として欧州に遊学。生年は明治13年4月7日、没年は昭和12年3月21日。63歳。 |
| 岡本綺堂 |
おかもときどう。劇作家、劇評家。『修禅寺物語』が出世作に。2世市川左団次と提携し、新歌舞伎の劇作家として活躍。1917年、シャーロック・ホームズに影響を受けて、日本最初の岡っ引捕り物の大衆小説『半七捕物帳』を執筆。生年は明治5年10月15日、没年は昭和14年3月1日。68歳。 |
| 小川未明 |
おがわ みめい。小説家・児童文学者。ロマン主義的・社会主義的傾向の小説を発表、大正15年に童話作家宣言。童話を文学として確立した先駆者の1人。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と。生年は1882年(明治15年)4月7日。没年は1961年(昭和36年)5月11日。79歳。 |
| 小倉柳村 |
おぐらりゅうそん。版画家。明治13~14年に「日本橋夜景」「水道橋月夜」「隅田川畔」など東京の風景をえがいた木版画11点を出版。夜景を得意とする洋風木版画家。生没年不詳。神楽坂を題材にした版画はない。 |
| 小栗風葉 |
おぐりふうよう。小説家。生年は1875年(明治8年)2月3日。没年は1926年(大正15年)1月15日。尾崎紅葉門の逸材として明治30年代に活躍。紅葉が『金色夜叉』を未完のまま死ぬと、その続き『終編金色夜叉』を執筆。自然主義の擡頭に押されて文壇を離脱。代表作「亀甲鶴」「青春」「世間師」など。新宿区の『区内に在住した文学者たち』によれば昭和39年5月から40年7月までは矢来町3に。 |
| 長田秋濤 |
おさだしゅうとう。劇作家、翻訳家。法律研究のために英仏に留学。演劇改良や仏文学の紹介に努めた。一時早大で教え、帝国ホテル支配人もつとめた。著書は「図南録」など。生年は明治4年10月5日。没年は大正4年12月25日。45歳 |
| 尾崎一雄 |
おざきかずお。小説家。早大卒。志賀直哉に師事。昭和12年、「暢気眼鏡」で芥川賞。戦後は「虫のいろいろ」「まぼろしの記」など心境小説を発表。昭和50年、自伝的文壇史「あの日この日」で野間文芸賞受賞。芸術院会員。生年は明治32年12月25日。没年は昭和58年3月31日。82歳。 |
| 尾崎紅葉 |
おざきこうよう。小説家。帝国大学国文科。明治18年2月、山田美妙らと小説結社の硯友社を結成。「我楽多文庫」を発刊。明治22年「二人比丘尼色懺悔」で文壇にデビュー。翌年に帝大中退。代表作は言文一致体の小説「多情多恨」(明治29年)や「金色夜叉」(明治30~35年未完)など。明治20年代は、幸田露伴と並ぶ紅露時代。満35歳で『金色夜叉』が未完のまま、胃癌で死亡。生年は慶応3年12月16日。没年は明治36年10月30日。 |
| 尾﨑士郎 |
おざきしろう。小説家。1933年から都新聞に『人生劇場』を連載し、これを「青春編」にまとめ、さらに「愛慾編」 (34~35) 、「残侠編」 (36) 、「風雲編」 (38~39) 、「離愁編」 (43) 、「夢現編」 (47) 、「望郷編」 (51~52) 、「蕩子編」 (59)。生年は1898年2月5日で、尾崎一雄と同じ年齢。没年は1964年2月19日。66歳。 |
| 小山内薫 |
おさない かおる。劇作家・演出家・小説家。東大卒。歌舞伎・新派劇にかわる近代的演劇を志し、1909年(明治42)二世市川左団次と自由劇場を創立、西欧近代劇の上演を行う。24年(大正13)土方与志と築地小劇場を設立、日本の新劇の基礎を築いた。生年は明治14年7月26日。没年は昭和3年(1928年)12月25日。47歳。 |
| 織田一磨 |
おだかずま。洋画家、版画家。浮世絵の研究家。洋画を川村清雄に、石版画を金子政次郎に学び、1909年美術雑誌「方寸」の同人,パンの会会員に。おもに都会風俗、近代市民生活を題材とし,後年は地方風景、山岳風景にも。生年は明治15年11月11日。没年は昭和31年3月8日。73才。 |